金額の問題!?

生々しい題ですが、娘のお祝いを通して、またまた新しい自分のメンタルブロックを発見して闘う、とこうことを繰り広げています。

 

昨日のハッピーちゃんのライブ配信で、

自分のつむじがすごく嫌いで、だからそれをわざとアップしたっていう話がありまして。

自分にとって触れたくないブロックについてスイッチが入ったとたんに、第一の矢が。

 

まずは、定例のLINE電話で。  

Aさんが、20代の若い女の子と欲しいもの探しに出かけた。奨学金の返済もしながら就職したての女の子はアクセサリーを買う余裕がない。

最初2-3万のを見に行ったけど、せっかくならと二人でVan Cleef & Arpelsに入った。

自分は、ここの黄色みがかったダイヤの指輪がずっと好きで....

 

みたいな話。まず、お店に怖くて入れない自分!

そして、そのダイヤを欲しいとさえ思えない自分の恐怖...

 

うわーブロックだと唖然として、発見、と思ったのですが。

 

その後第二の矢。

父が、お祝いの件でLINEをしてきたんです。

今度2日間だけ九州の実家に行くことにした娘、

どれだけ渡すのがいいみたいなやりとりになった途端に苦しくて苦しくて。 LINEを開くの無理ってなりました。

 

そして第三の矢。

朝起きたら、母がものすごく幸せだと。

週末に焼肉でも食べに行こう、が、温泉に泊まりに行くか、韓国でもと。

 

これでも胃がキリキリ...

 

受け取ってはいけないブロックははずしはじめたと思っていたのですが、

なんでこんなに苦しいんだろう...

 

奥へ奥へ自分との対話。

 

そしたら、子供の頃の自分に出会いました。

どこに受かるかとか、可愛がられていたかによって

祖母からのお祝いの金額が違ったんです。

私にとっては、金額を決められることが愛情のバロメーターになってるんだ...

そんなこと、祖母本人はきっと覚えていないだろうし、みんな同じように可愛がってくれてたんだと思います。

 

そしてもっと深い傷。

自分はそれを思いっきり子供達にしてあげられているかどうか。

人のためにやりたいと思っていることをすべて出来ているかどうか。

 

ここの葛藤に苦しんでる自分を発見したとたんに、涙が溢れてきました。

見つかったからといって、解決策はありません。

ないけれど、そこの自分に気がついたことが解放への第一歩

 

それを信じて、もうちょい深掘りしていくことになりそうです。