ラスベガスでの気づきその⑵

ラスベガスでの気づきその⑵

到着してすぐそのまま、知人の待つとなりのホテルへ直行。
世界中の、ステキな人とそうでもない人(笑)
が生でみれたことは、これこそ自分が肌で感じたかったこと。
究極の枠外しです。


ホスピタリティデスクに置いてあるものも、まるで違う。
一つ上のラグジュアリーを体感できたのも、すごかったです。


満月と重なった今回の旅行。
夜に行ってみたけど、方角と雲のせいで月は見えず。

 

 


さちまるちゃんの放送が現地時間の夜中の3時、愛ちゃんが2時からの放送(だと思い込み起きてしまったので)
月を部屋から探してみたら。

 

 


ピラミット型のホテルは、斜めになっていて、放送の間、月光浴をしながら放送を丸々聞けるという、最高に幸せな瞬間..‼️

 

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そしてもう一つ。

ちょうど出発の日に、さちまるちゃんと愛ちゃんが愛ちゃんが大喧嘩したとの配信が。

 

愛ちゃんいわく、「殺されそうになった笑」

 

これが一体なにから起こるのか、二人の配信とインスタを何度も何度も読み直しました。

ただの人の喧嘩じゃなく、いつもソースとつながってることをしている二人の喧嘩が、一体なにから起こるんだろうと。

 

で、ずっと掘り下げていった先に、

<遠慮という文字がない>ということに辿り着いたんです。

遠慮のない世界=絶対的な安心感と信頼感。

 

私の中で、はっきりとした概念ではないにせよ、

いつからか遠慮とは美徳だと思っていた。

だからこその、頭を殴られたような衝撃でした。

 

本当の自分ってなんだろう?

 

きっと一番飾らずに本音で向き合っている関係は家族で。特に子供で。

「どんな自分でぶつかっても子供たちはみんな受け入れてくれてるじゃん、だからそのまんまで大丈夫なんだよ」

って言ってもらった一言が、頭の中をぐるぐる駆け回ってました。

 

遠慮とは必要か必要じゃないか、根本の部分を探っていったら、

無い世界でいれたらそれがたぶん一番美しくて。

過度に遠慮をする自分がもし周りに受け入れられているとしたら、それは本当ではなくて、

そのままで向き合っている自分でも良いと思ってくれる人たちとここから先は生きていければいい。

 

 

すとんと腑に落ちた気がしました。

急には変われないかもしれないけど、遠慮を外して、向き合う。 

そして出会うことができたから、新しい出会いにひとつ垣根が外れた気がしてます。

その⑶に続きます。